SSブログ
スポンサード リンク

2016年卒 就活 内定なし 状況 [ビジネス]

一般社団法人雇用開発センターは7月3日、「2016年卒大学生の就職活動調査」の結果を発表した。期間は6月1日~6月10日。対象は、2016年3月卒業見込みの全国の大学4年生・大学院2年生の男女546名。

内々定状況を調査したところ内々定率は全体で35.2%となった。大学4年生全体は33.3%、大学院2年生は41.7%と、大学院生が高い内々定率となった。

エントリー解禁の「大学3年生(大学院1年生)の3月から就職活動を開始した」が全体で41.6%、大学4年生では43.2%で最多となった。ただし、「大学3年生(大学院1年生)の10月以前~12月頃」までに活動開始した学生も全体で37.5%に上っており、昔のような長期間の就職活動を余儀なくされている学生も多いと見受けられる。

私も2009年卒で大卒で就職活動を経験した1人だ。
一つ、まだ三十路にもなってないが、私の遍歴な会社人生を話したいと思う。


私は歳は28男で、大学は3流大学卒である。当時は経済はまだ上向き加減で、
三流大学卒の俺でも中堅のメーカーで内定を貰えたほどだった。
しかし、その年の秋にリーマンショックが起こり、社会は混乱した。
周りの友達とか世間の同じ内定者がバシバシ内定切りをされていく。
年が明けてからも内定切りに遭い、右往左往してる知り合いも少なく
なかった。

俺は何とかかんとか内定切りに遭うことなく、2009年卒で入社した。
しかし、ここから遍歴が始まる。


東京出身で会社も東京。本社勤務と勝手に思っていたが束の間の
ことだった。

研修が終わり、辞令は宮崎県。????
え????しかも出向、しかも営業。てか宮崎県。。
東京からどんだけ離れてるんだ〜〜てか九州じゃん、九州なら
福岡じゃないのー??て感じで新卒でウハウハ東京生活を
望んでいた俺は東京の煌びやかな大都会からほんの2ヶ月程度
で追い出されてしまった。。


宮崎県で出向で営業。出向してから現地の人達は想像以上に
冷たかった…。

お前はこの陸の孤島で最後や、終わりや、骨を埋めちな。

宮崎支店は九州の中でも赤字拠点で覇気のある者もおらず
世間はリーマンショックの爪痕が強く残り、市場は冷え切り
過ぎていた。

俺もその雰囲気や環境に直にブチ当たった。
しかも営業は直販で俺は新人だったので新規開拓しか
させてもらえなかった。

毎日飛び込み飛び込み飛び込み…
自信もプライドも今まで頑張ってきたことも全て酷な
目の前の世界で削がれ消えていきそうだった。

しかし、そんな宮崎県で俺は4年も生き延びた。
何とか生きていた。
4年も過酷な環境でこなされた俺は成長していた。
営業マンになっていた。

それから半年ばかり北九州に転勤してから、
27歳の時に東京本社に栄転した。
異動先は本社経営企画部。いかにも誰が見ても栄転だった。
しかし、人生そんなに甘くない。
異動してわずか3カ月で退職に追い込まれる。

営業経験を生かして〜なんてのは生易しく
実際は社長や役員から日々様々な要求
を受け、指示をされそれに答える為には
午前様の毎日で身体と精神が崩壊し、
あっという間に倒れた。

わずか3カ月で体を壊し、鬱病になり
社会から追い出されてしまった。
退職してからは束の間、俺は何もしない
方が身体を壊すこと以上に辛かった。
何もしないで終わる1日が長くキツかった。
それに気付いてからは俺は
狂ったように就職活動を始め、

わずか一ヶ月半で内定5社、決めたのは
某一流総合電機メーカーだ。
今はそこでまた営業に復帰している。

人生はどう転ぶかはわからないし、
これからどう転ぶかもわからない。

ただこの5,6年で言えることは、頭のどこかに
こんなはずじゃない、こうなりたいんだ、
て気持ちがあるかないかで進む道も変わって
来ると思う。

後は一生懸命やってたらそれなりに報われる
と思う。妥協惰性愚痴はたまにはいいが
そんな毎日になってしまったらおしまいだ。

一度しかない人生。一生懸命生きた方が
絶対に味がありきっと納得できる
人生を送れると思う。







スポンサーリンク






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました



スポンサードリンク

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。